百日紅のすべすべ、ごつごつ、つるつるの幹に自分を重ねると

 半月前の台風に挟まれた束の間の晴れ日(9月6日)、あかぼり蓮園(地割れした蓮田に、ガラスひび割れアートや城郭の石垣模様)経由でぐんまフラワーパークに。幾つかの公園をハシしても、最後はここにたどり着き一巡して休憩することが多い。

 その頃は、ダリアやバラはまだ早いし、芙蓉や黒キビ、銅葉ダリアは撮ったばかりだし・・・、と数えると目的の撮ろうとする花が少ない時期でもあった。

 ここでは、いろいろな花が咲いているが、ステンドグラスの製品づくりの目で花を見ているので、現在100種類ぐらいタグ登録してある花を中心に撮っている。

 一巡すると百日紅が未だ咲いていたので、ごつごつしているがつるつるの幹にフォーカスして撮ることにした。人間ならば、中年期(50歳~65歳)の肉体の衰えが表面化したような幹に見えた。

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赤い花を咲かせている百日紅は、木も若く元気そうで、すべすべした木肌がそれを物語っていた。人間ならば、壮年期(30歳~50歳)位の成熟した感じがすべすべした美しさに見えた。

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暗い写りの太い幹は、つるつる感も失ったごつごつした幹に見え、人間ならば、65歳以上の老年期だろう。

 ふと私は、この部類だ、と再認識した。普段、若ぶっているが頭皮だけがつるつるしていて他はすべすべ感もない。これを書いていて、何だか急に寂しくなった気がする。

 自分を再認識すると、耐えられない事実が見えてくる74歳。

 こんな自分が、今以て『ステンドグラスの美のおもてなしの感性ビジネス』にチャレンジしようとしている姿に、ドンキホーテのようだ、と自分を笑いたくなってくる。さらに、本心なので可笑しさも込み上げてくる。

 老年期とは、こんな感じで生き切るのだろう、と腹をくくっている。

 ステンドグラスは、生きがいを持って生涯現役で生きる手段に選んだ。それは、退屈しないで感じたままに生き切るためだった。

 老いの姿と正反対の美しさにあこがれつつ残照のようなものをステンドグラスに込めたい気もしている。

 ときに、ハローグラスでは、花図案に始まるステンドグラス加工品の美のおもてなしで、癒しや感動サービスを提供し、楽しくて心健やかな生活を応援する感性ビジネスを考えている。

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投稿日:2016年09月20日