シランの美しさを見て、人間の美しさとは、否、美しくない人間とは、

以前、あやめとシランを垣根に沿って植えたのだが、自然界でも共存は難しいようでシランが増えてあやめが全滅しそうになっている。そのシランが見頃になったので、撮ってみた。

 背景を木戸にして、上品な紫と落ち着いた緑のしっとり感のある雰囲気を、パチリ。

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一転して青空を背景に撮ろうと試みたが物理的に無理な位置関係だった。

 そこで、一枝を切り花にして一輪挿しのガラス花瓶に挿し、青空を背景に撮ることにした。

すると、細長い葉が、これ程存在感があるとは、想いもよらなかった。

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鳥が水面から飛び立つシーンのイメージが浮かんでいた。それも何とも不器用そうに羽を拡げた恰好で・・・でも、飛び立てずにバタバタと・・・。何とも滑稽な自画像のようにも想えたので、パチリ。

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花と葉の位置と形を活け花ぽく整えて、パチリ。

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逆光でパチリ。

改めて、シランの美しさに魅せられた。春の山野草としてあちこちで咲いているのは嬉しいことだ。見れば見るほど美しい花の印象が強く、垣根の水仙と共存せずに淘汰してしまう雑草のようなたくましさは微塵も感じられない。自然界の淘汰原則に基づき、気負いもなくただ咲いているのだから・・・、てな感じだ。

 花は、咲く以外の欲得がないから美しい。比べて人間は、欲得に絡んだ"悪意の嘘"が原因で"ごまかし・裏切り、他人を傷つける"ことがあるから注意しないと、と言うことだろう。人間の美しさは、この辺のモラルにある、と思うが、どうだろう?

 決して、清く正しく・・・と、堅苦しいことは言わない。ただ自分欲が突っ張り他人を陥れたりしないことだ。このモラルを踏み外すと、美しいとは断じて言えないことは真実だ。

 なので、多くの人は、おおむね美しいと思うが、まさか、と想うことをする人も時にいる社会、自分を含めて注意しないと・・・、それには他人に優しくなることだろう。

また、美しさは、感動や癒しを与える力を持っていて、自分事として共感するものだ、と思っている。他人に優しい人は、その資格を充分に持っているが、嘘で他人を陥れる様な人は資格がない。

 これは、市川市に住んでいた平成の初め実際に経験したことで、故人の遺産(動産)を盗んだことを非難したら"盗られる方が悪い"と、悪態をつき豹変した愚かな女性がいたことを思い出し"何でそうなるの?"と、浅はかなことをと情けない気持ちと憤りで一杯だった。その加担者の中にお偉いさんもいたのが市川の恥部に見えた。ムラ意識であれ如何なる理由であれ、盗ることは罪になり被害者が生まれる。世間は黙って見ていても信用を失い騙し通せるはずもないのだ。それは、短編小説ぐらい書けそうな白々しい嘘でただれたエピソードになっている。必死で事実を曲げようと嘘で上塗り続けたゾ~ッとするような、お金欲しさでここまで人は変われるものか、と信じられない愚かな化け狐の畜生道に見えた。

美しくないとは、こんな人を言うのだ、と思っている。何をやっても偽善(泥棒のほどこし)と信用されず、心の安らぎもなく獣道を歩くのだろう。

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投稿日:2016年05月05日